自分の家のこと好きですか?老後まで愛着を持って過ごせそうですか。自分の家が好きになる、そんな方が少しでも増えますように。
ある日の出来事
先日のことです。車庫から車を出した際、床にグリスが垂れていたのに気がつきました。
今まで大きな故障も無かったのですが、長年乗っていると色々と不具合も出てくるかなと思っていた矢先のことです。
今回は幸い深刻な故障ではなく、無事に修理で済みました。
13年も経つ車だと、過ごした時間の長さから色々と思い出も詰まっています。
家族で旅行に行った事、子供の塾や部活の試合や合宿にあちこち送迎した事。
今はいませんが、愛犬の具合が悪いとき荷台に毛布を敷いて心配しながら何度も病院に通院した事。
しかし、大切に手をかけていても普段使いの車は工業製品です。部品などの供給が終わり修理が出来なくなれば、手放す時が必ず来てしまいます。
ですが、その日までは、大切に乗ろうと思っています。
わかっていても・・・
長い時間、愛着や手をかける最たるものといえば、住宅ではないでしょうか?
住宅は時間の流れに耐えながら、住む人の色々な思い出をたくさん積み重ねていくものです。
時間の流れに耐えなければならない住宅ですが、残念ながら家づくりの時流はそれとは逆へ、出来るだけ手をかけない方向に向かっている気がします。
使用している建築材料は、出来るだけ手入れのかからない素材を採用したり、工期を早くする事を優先に考えたものに置き替わり。また、それらを採用する事により、どこの住宅会社も同じようなものにしか見えなくなりました。
そして、間取りなども似通ってきました。
どうやら人生の一部分の期間だけに焦点をあてたプランで住まいを計画してしまうようです。
さらに、それを悪化させている原因は住宅を提供する側も、住宅を購入する側も悪気無くこのことを進めていることかも知れません。
将来発生するであろう問題に気がつかずにそうしているのです。
いくつか例を挙げてみます。
手入れが少なく済む建材は逆を返せば、ほぼお手入れができないということになります。
こちらがどれだけ手をかけても、それに応えてくれないのです。
また、造り手からしてみれば、自然素材のような手のかかるものは職人を選びますし、傷もつきやすいので使わないほうがクレームを避けることが出来るので都合が良いのではないでしょうか。
ですが、そのお手入れのかからない材料は木目調のフィルムラミネートを張り付けたものだったりします。
理由が色々あるにせよ、どこか気持ちの中で本物のほうが良いとわかっていながら、それを使えない、使わないのです。
時間の流れに耐える
次は間取りについてです。
家づくりはその人生の一大イベントぐらい大きな出来事です。
その時期の施主の盛り上がった気持ちは今の暮らしの不便不満を爆発させて、解消するようなプランを求めてしまいますし、造る側もそこを中心に進めます。
子育ての時期に重なっている方だとすれば、子供には個室を与えたいという方が多いと思います。ですが、子供が家にいる期間は人生の中で意外に短いものです。
そこに焦点を当てすぎて家づくりを進めてしまうと進学、就職、結婚を機に子供が家を出たあと、本当に使いづらい家になります。
間取りが、あなたの暮らしと時間の流れに耐えられないのです。
余程親身になってプランする方でないと、人生を通した暮らしまで考えたプランの話はしてもらえません。
もしかして、その会社は建てる時だけのお付き合いになっていて、そのような暮らしの時間が流れた顧客とのお付き合いが無く、その事の本質がわかっていないのかも知れません。
建てる会社の本音は、打ち合わせの回数をできるだけ少なくして早く建ててほしいのです。
このような家に本当の愛着を持って過ごせるのでしょうか?
どこか不具合が起きても、「手入れする」のではなく、「修繕や修理」という言葉のほうが本当は当てはまるのです。
どのような建材が新しく開発されたとしても、物として消耗する事実は変わることはありません。
施主を見て思うこと
人生をより楽しく豊かに安心する場所を手に入れるために、お金や時間をかけて住宅は育てていくものだと思います。
人生という長い時間を過ごす住宅だからこそ、最後まで愛着を持って過ごせるものを手に入れたほうが、人生は豊かになると思いますし、そう信じて私は家造りの仕事をしています。
そう思うようになったのは、そのような考えで住宅を計画された方との交流からです。本当に日々を楽しく、住まいに愛着を持って暮らしを楽しんでおられる姿はいつも住宅の本質を教えてくれます。
そういうお宅に訪問すれば、直ぐにそのことがわかります。
新しいものを否定するつもりはありません。便利なものはどんどん取り入れるべきだと思いますが、
本質を間違うと、本当に大切にすべきものまでも見失ってしまう気がするのです。